教えてほしかった
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コツをつかみ大きく成長する人は何が違うのか?
どんな物事にもコツがある。
その抑えるべきポイントを捉えられるかどうかで、
同じことをやっていても、
いつの間にか大きな差が開いてしまう。
團員の練習をみていても、
コツをつかむのがうまい團員には共通点がある。
それは、
地道な試行錯誤をコツコツ積み上げてきた人だ。
決してダジャレではない!!!
1.試して
2.失敗して
3.何がいけないか考えて
4.改良を加えて
5.また試してみる
このプロセスをいかに自分の中に蓄積できるかが、
コツをつかむためには必要なんだ。
ただなんとなくやっている人は、
この試行錯誤の積み上げがない。
その差が決定的に現れるのは、
練習や本番でうまくいった時の捉え方である。
コツコツ積み上げていない人は、
良い結果を「今回は調子が良かった」
くらいにしか捉えない。
なぜなら、
あとから振り返っても、
そこに試行錯誤の痕跡がないから、
何が良い結果に繋がったのか分からないのだ。
逆に、
試行錯誤を積み重ねてきた人は、
毎回の行動に意図があるから、
「この改良が効いたのでは?」という、
『あたり』をつけることができる。
その『あたりをつける』ことこそが、
『コツをつかむ』ということの本質なのだと思う。
だから大事なのは、
日々の地道な積み重ね。
一つ一つをなんとなくやらないこと。
毎回、考えることから目をそらさないこと。
コツは奇跡的な偶然により、
つかめるものではない。
コツはコツコツ積み上げきた努力によって、
自らつかむことができるものなんだ。
コツの「コツ」はコツコツと!
我武者羅應援團 総監督 武藤正幸
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今日は父の日。
今まで父の日といえば、
「父に感謝する日」
くらいの認識でしかなかった。
しかし今回は違う。
なにせ自分がその父になったのだから。
4ヶ月になった娘は、
得意のエウエウ語を駆使して
「エウエウアウエウアー」
→「パパいつもありがとう。大好き!」
(正幸の勝手に脳内翻訳)
と言ってくれた。
それはとっても嬉しいことなのだけど、
同時にこんなことも思うのだ。
感謝されるくらいの背中を、
我が子が憧れるような背中を、
好きになってもらえるような背中を、
みせることができているだろうか?
そうやって自分を見つめなおしていると
むしろ逆の感情がわいてくる。
それは、
娘や妻に対する感謝だ。
むしろこちらの方が、
ありがとうと言いたいんだ。
いつも一生懸命に
笑って、泣いて、エウエウ喋って、
寝返りを練習して、できずにまた泣いて、
そんな娘のガムシャラに生きる姿に、
こちらが元気をもらっているんだよ。
寝不足でも笑顔で娘をあやす姿に、
自分の方が疲れているはずなのに、
「いつも手伝ってくれてありがとう」と
声をかけてくれる妻の優しさに、
こちらが救われているんだ。
そして今は天国で見守ってくれている、
自分の父に対しても、
「あなたがいたから、今僕は幸せです」
そんな感謝の気持ちがわいてくる。
だからあらためて僕は思う。
父の日は
「父に感謝する日」
と同時に、
「父が感謝する日」
でもあるのだと。
我武者羅應援團 総監督 武藤正幸
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『気合と根性があれば、どうにかなる』
と、僕は思わない。
我武者羅應援團なんて
気合と根性でやっているんじゃないの?
というツッコミが聞こえてくるようだけど、
確かに我武者羅應援團をはじめた当初は、
それこそ気合と根性さえあれば、
なんとでもなると思っていた。
だから團員たちにも、
「気合入れろ」「根性見せろ」
的なことを言っていたと思う。
しかしながら、
僕が「気合」とか「根性」と口に出すと、
皆、その一瞬だけは頑張るのだが、
すぐにその熱は冷め、
全体を通してのパフォーマンスが一向に上がらない。
そんな状態が続いた。
「気合と根性が足りないんだ」
僕はそう思い、
さらに激しく「気合」と「根性」を求めた。
でも求めれば求めるほど、
團員達の士気は下がっていく。
うるさそうにしたり
目に見えてやる気をなくしていく人もいた。
何がいけないのか?
そう悩んでいる時、
ある学校に応援に行く機会があり、
そこで全国でも上位に入る運動部のコーチの方に
お話を聞く機会があった。
するとこんな話をしてくれた。
「気合をいれろって選手に言ったって、
入れ方が分からなければ意味がないんですよ。
どうやったら、自分に気合が入るのか
そのプロセスを理解して、
ちゃんとトレーニングしないといけないんです」
つまり、
気合と根性という武器を
ただ團員達に渡しても、
使い方が分からなければ
気合も根性もその力を発揮しない。
気合も根性も、
精神論ではなく、ちゃんとした技術。
まさに、目からウロコだった。
そしてその日から
試行錯誤を繰り返してたどり着いた、鍵。
それが「言語化」だ。
今、自分は何を感じていて
今、自分のどこが課題で
今、自分の何を改善していて
今、自分は何を目指していて
そしてそもそも、
なんのために、やるのか?
ただ漠然と努力をするのではなく、
ひとつひとつの行動に
ちゃんと意味をつけること。
それを言葉にすること。
その過程(技術)が、
気合と根性を発動させるためには必要なのだ。
すると同じように練習するのでも
ぜんぜん熱のこもり方が違う。
そして何より情熱の持続性が違う。
なぜその練習が今の自分に必要なのか。
自分の言葉でしっかりと落としこめているので、
途中で怠けそうになったときに、
その言葉が頭をよぎる。
「前回の応援で、
見せ場である応援歌の動きが乱れたのが悔しかった。
だから次の演舞で團員のシンクロ率が上げたい。
だからあと50回、この動きをやろう。
だって昨日よりも成長することが、
この團に入った意味だから」
そうやって頭の中で言葉を思い出し、
それを行動に変えた時、
初めてその行動に気合が宿る。
その踏ん張っている様に
根性が根を張る。
それが、
本当の意味での
「気合と根性」
なのだと僕は思う。
気合と根性は必要だけど、
それの使い方を身につけることが必要なのだ。
だから僕はこう言いたい。
『気合と根性を正しく理解し、
自分の技術として磨きをかければ、どうにかなる』
我武者羅應援團 総監督 武藤正幸
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僕の自信の成分表を発表したい。
挑戦したい 33%
失敗するのが怖い 33%
期待が嬉しいけどプレッシャー 33%
それでも自分はできるという
「愛すべきカンチガイ」 1%
実は自信を持つのって、
100%自分を信じることではないと思う。
本当の自信の中身とは、
挑戦の気持ちと同じくらい、
不安やプレッシャーも
混じっているのではないだろうか?
少なくとも僕は、
100%の自信を感じたことはないし、
もし100%できると思えるものならば、
それはわざわざ自分を信じなくても、
できることだと思う。
できるか、できないか、分からないから、
自分を信じる必要がある。
僕らは何かをやろうとするとき、
「全ての不安がなくならないと進めない」
そう思いがちだが、
そんなことはまるでない。
なぜなら失敗への不安は
永久になくならないからだ。
なくそうとすればするほど、
100%にこだわればこだわるほど、
人は前に進めなくなる。
だから僕は思う。
自信とはシーソーみたいなものなのだと。
大事なのは、
ほんの1%でいいから、
不安やプレッシャーを上回り、己を信じること。
そうすれば、
自分を自信の方向へ傾けることができる。
最後の1%はカンチガイだっていい。
根拠なんてなくていい。
不安やプレッシャーを抱えながら
それでも自分を信じた時に、
本当の自信は生まれるのだと思う。
我武者羅應援團 総監督 武藤正幸
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高校生の時、僕はこう思っていた。
ミュージシャンになれば、
幸せになれる。
つまり
夢を叶えたら、
憧れの職業につくことさえできれば
幸せになれる。
だから今つらくても
頑張るんだって。
誰にも理解してもらえなくて、
ひとりぼっちで涙が止まらないこともあった。
無理だよって言う周りの言葉に
反発して強がって、
でも心の中ではずっと焦っていて、
毎日しんどかった。
それでも
10年間、ひたすらに夢を追い続けた。
しかし残念ながら、
結局ミュージシャンにはなれなかった。
頑張れば必ず報われるんじゃないのかよ?
本気でやれば夢は叶うんじゃないのかよ?
何度もそう思った。
でもいくら願っても
やっぱり夢は叶わなかった。
そんな僕は不幸せなのか?
夢を叶えることができなかった僕は
幸せにはなれないのか?
今、ミュージシャンではなく
我武者羅應援團として活動していて、
僕は思う。
幸せだって。
ミュージシャンにはなれなかったけど、
僕は今、幸せだ。
心の底からそう思う。
なぜなら、
ミュージシャンにはなれなかったけど、
僕は自分を好きになれたから。
10年間、本気で頑張ったじゃないか。
誰からも認められなくても
諦めず踏み出し続けたじゃないか。
ガムシャラに頑張ってきた自分を
僕だけはずっと見てくれていたんだ。
だから自分のことを好きになれた。
生まれて初めて、自分を認めることができた。
幸せはどこか別の場所にあるんじゃなかった。
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パソコンを整理していたら、懐かしい音源をみつけた。
『リベンジ ver.1』
僕らの応援歌「リベンジ」の1番最初に作ったデモ曲だ。
試しに聞いてみて、愕然とした。
なんだ、このパッとしない曲は!!
僕がアコギと鼻歌だけで歌っているのだが、
メロディーもコード進行も
CDに収録された完成版とはだいぶ違い、
それはそれは、煮え切らない曲だった。
どうした正幸!!
思わず過去の自分に言いたくなった。
荒削りな自分にショックを受けつつ、
『リベンジ ver.2』を聞いてみた。
やはり煮え切らない。
しかし、『リベンジ ver.1』よりは、
ちょっとだけ良いメロディーになっている。
それから何十個もあるリベンジのデモ音源を
順を追って全部聞いてみた。
すると、
コマ送りの動画を見ているかのように、
少しずつ曲が良くなっていくのが分かる。
えらく歩みは遅いし、
たまに迷走したりするけれど、
最後のデモは、聞きなじみのあるメロディー。
今、自分達が歌っているのものと
同じクオリティになっていた。
そして僕は一つの結論にいたる。
残念ながら、僕には才能がない。
なので、
いきなり素晴らしいメロディーが降ってくる。
なんてこともない。
降ってくるのは、
どこにでもあるような平凡なメロディーだ。
だから僕は、
その平凡なメロディーを一生懸命に磨くんだ。
少しでもこの曲がひかり輝くように、
来る日も来る日も磨き続けるんだ。
作っては直し、作っては直し、
試行錯誤を繰り返しながら
ひたすら地道に努力を積み重ねる。
それが僕の音楽の作り方。
それは僕の人生も一緒だ。
何もせず、最初から幸せな人生が
用意されていたわけではなかった。
すごい運動ができるわけでもない。
むちゃくちゃ頭がいいわけでもない。
クラスの人気者だったわけでもない。
不器用で、
恥ずかしがりや。
だから頑張るしかなかった。
昨日よりもちょっとだけよくなるように、
自分を磨き続けるしかなかった。
その歩みはとてもゆっくりで、
進んでないんじゃないか?
そう思う時もあった。
でも今、振り返ってみると、
確かに前に進んでいたんだな、
そう思える。
そして音楽を作るのと同じように、
そんな日々の小さな積み重ねこそが
幸せを生み出すのだと思う。
『幸せは1日にしてならず』
我武者羅應援團 総監督 武藤正幸
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